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3.春待ちの座標から

次の朝。

アルコールを分解しづらいらしい俺の身体は盛大に頭痛と吐き気を引きずっていて、 重い気持ちで玄関を出た。

「あ」
「あっ」

二人分の声が重なる。

八階に続く階段にはあの店員が座っていた。俺に気づくなり、ゆっくりとした動きで立ち上がる。

「......はよ」と言う彼は、昨日よりも声が低くてかすれている。朝に弱いのかもしれない。

「おはよう。何か用?」

咄嗟に態度がとげとげしくなる俺。凪はフワァと大きな欠伸をした。身長の高い身体がフラフラ、フワフワしている。脳裏にクジラが思い浮かんだ。

「一限、講堂でカリキュラムの説明会だろ。一緒に行こう」

そう言うと返事を聞かずに、店員はエレベーターのボタンを押した。唐突すぎて訳が解らない。

「そうだ。昨日言い忘れてたけど、俺、千代田(ちよだ) 凪」

ポーン、と間抜けな電子音が鳴ってエレベーターが開く。俺はポカンとしたまま、仕方なく一緒に乗り込んだ。

微妙な沈黙。彼が何を言いたげにしているのかは、人付き合いが苦手な俺でもさすがに察した。

「お、俺は、神谷 蒼」
「へえ、めずらしい名前だな。かっこいい」

よろしく蒼、と突然名前で呼ばれて驚いた。数年間友達はおらず、同い年の人間ともろくに接してこなかった俺にとって、それはあり得ない状況だったから。

「なんで俺なんかと登校しようと思ったんだ」

沈黙に耐えられなくて恐る恐る理由を尋ねる。大混雑している地下鉄の車両から命からがら押し出され、大学近くの駅のホームに着いたところだった。

「通学の途中で倒れられると後味悪いから」
「監視かよ。もう倒れないって」

千代田は意外と根に持つタイプなのかもしれない。

「じゃあ、俺は先に行くから」
「......ああ、もう、察しろよ!」

別れて歩こうとすると、千代田は突然苛立ったような声を上げた。

「俺が一人で教室行くと恥ずかしいだろ。気まずいんだよ!」

寝癖がついた髪の毛をがしが しと掻きながら吐き出す。意味が解らず、俺は無言で立ち止まった。

「人助けようとして飛び出して、全校学生の前でデコから血流すってさ、すげえ恥ずかしかっ たんだよ。俺一人で教室に入ったら、絶対にいじられる」

あまり抑揚の無い声色で何を思いつめているかと思えば、千代田はそう言った。

「だからさ、お前と一緒に教室入れば、安心だろ」
「そ、それだけ?」
「は?」
「本当に、それだけなのか」

千代田はきょとんとした顔をして、怪訝そうに眉をひそめた。そうだけど、とぶっきらぼうに返事をする。俺が黙っていると千代田は「早く行こうぜ」と気だるそうな声で言って、スタスタと俺の前を歩いて行く。

俺は呆気に取られてしまった。千代田の感情も考えもまるで読めない。でも、確かなことが一つだけある。この状況でいじられたり、茶化されたりするとすれば、それは助けた千代田ではなく、倒れた俺だ。昨日あんな態度を取った俺をわざわざ迎えに来て、一緒に大学に行こうと誘ってくれたのだ。それは千代田が俺に気を遣ってくれた事実に他ならない。

ただ後を追うのが精一杯で、言葉が出なくなった。何とも言えない熱いものが胸からこみ上げてきて、俺は上ずった声で千代田を呼び止める。今なら言えると思った。むしろ、今しか言えない。

「あのさ」
「ん?」
「き、昨日は助けてくれて......ありがとう」

言葉が駆け足になる。千代田は俺の切羽詰まった顔を見て、フッと笑った。「もう倒れないように、ちゃんと飯食えよな」地上に向かうエスカレーターに乗り込むと、徐々に眩しくて明るい光が近づいてくる。それはまるで希望みたいだと、柄にも無いことを思った。

「えっと、千代田はさ......」
「ああ、凪でいいよ」

俺より一段上のステップに立って、背を向けたまま千代田がぽつりと言った。

「え、いいのか?」
「友達なんだから、当たり前だろ」

凪がびっくりしたような顔で「蒼は変なやつだな」と笑った。俺は目を見開く。

当たり前のように俺を名前で呼んでくれる友達がいる。
俺の隣を、誰かが歩いてくれている。

高校生だった俺には想像もつかないような、それどころか、想像さえ許されなかったような
非日常の中に、俺はいるんだ。

「な、凪」と、細い声で呼んでみた。
「うん。......何?」
「ごめん、何でもないや」
「おい」

納得がいかないような顔で首をかしげる凪がおかしくて、俺は笑った。凪もつられて笑う。目尻をこする振りをして、滲む涙を拭いていたことがバレていなければいいと心から願う。

大学に到着して、講堂のあるB棟を目指す。俺は早速迷って慌てふためいてしまった。

「こっちだよ。AとBとCが全部バラバラに建ってるから、腹立つよな」

まだ入学して2日目だと言うのに、地図や案内板も頼らず、広いキャンパス内を歩いていく 凪。俺は頼もしい凪に言われるがまま、歩き始めた。

「そういや、蒼はどこの高校?」
「えっ」

思わず声が裏返ってしまいそうになった。どう答えるべきかわからず、言い淀む。

隠したってどうせいつかは解ることだ。俺は腹をくくって、できるだけ感情が言葉に乗らないように気をつけながら言った。

「し、静岡の高校だけど、二年生の時から行ってないんだ」

凪の反応が怖くて顔が見れない。俺はうつむきながら凪の半歩後ろを歩いた。そして高卒認定試験を取って大学に入学したという説明を続ける。

「あんまり詳しくないんだけど、二つも試験受けたのか。すごいな」

ヒヤヒヤしていた俺は、間髪入れずに凪が率直な感想を言ってくれたことに驚く。

「静岡いいじゃん。俺も富士山登りたい」
「静岡県民が全員富士山に登ると思ったら大間違いだぞ」

茶も美味いんだっけ、と思い出したように付け足す凪。天然なのか気を遣っているのかは解らないが、どうもそれが彼の本音であるように思えた。

「俺は内部進学だから、面接だけで受かったよ」
「内部進学ってことは、東一星付属高校か」

成績や生活態度が極端に悪くない限りは中学、高校、大学と持ち上がりで進学できることが 多いのが内部進学。だがここは、そもそも中等部に入ることが難しい名門。つまり凪も相当、頭が良いはずだ。

「うん。元々理系だったからさ、授業についていけるか不安だよ」
「理系なのに文学部に入ったのか?」
「それはまあ、色々あって」

凪がからからと笑った。色々の意味を聞く前に、目当ての校舎に辿り着いてしまう。

友達って良いな。あの頃のことを、こんなにも簡単に口にできる日が来るなんて。いちいちしつこく感動する俺の心境なんて知らない凪は「やべえ、寝そう」と小さく欠伸をして校舎へと入っていった。

立ち止まっている俺を、凪が呼んだ。
誰かが俺を待っていてくれる。名前を呼んでくれる。
こんな日が続くのかと思うと、嬉しくてたまらなかった。

カリキュラム説明会という名の、年配の大学職員によるダラダラとした説明は、九十分の時
間をたっぷり使って終わった。

教室を出る準備をしていた俺と凪の後ろから、いきなり顔を出してきたのは、あのヤンキー
染みた男だった。

「お前、神谷だっけ」

突然の邂逅に、俺は返事ができずぱくぱくと口を動かしただけだった。友達の友達は、友達。友達百人できるかな。昨日の敵は今日の友達。現実はそう、都合よくいくわけもなくて。

「昨日の態度は酷すぎだぞ。勝手に帰りやがって」

そいつは顔をしかめながら俺を咎める。説明中、眠気でほとんど意識を失いかけていた凪は、目をこすりながらその男に「お、ヤマ トじゃん。おはよう」と挨拶をした。

凪が言うには、そいつは鹿島ヤマトという名前で、凪と同じく高等部からの内部進学生らし い。

会話から二人の仲がとても良さそうであることは見てとれる。いわゆる親友ってやつだ。

「あ、えっと、その、俺は......」

相変わらず絶好調にコミュ障の俺。鹿島の目つきは鋭くて、どうにも話しづらい。

「神谷さ、凪に礼も言わないで帰っただろ。そういうの良くないぜ」

鹿島は溜め息をついた。

「まったく、誰が部屋まで運んでやったと思ってんだよ」

鹿島が言うと、凪が小さく「俺だよ」 と呟いた。

「わざわざベッドにまで寝かせてやってさ」
「だから、それも俺だって」と凪。
「いくら人見知りでも、あれは無いわ」
「人の話聞いてんのか」

しびれを切らした凪が、やたらと自分に恩を着せようとする鹿島の襟首をつかんで、食ってかかった。

「その件はもうチャラになったんだって。な、蒼」

二人のやり取りを呆けて傍観していた俺は、ハッとして瞬きをした。鹿島の方へと振り向いて「ごめん」と一言告げようとした俺は、今度は前から誰かに肩を掴まれて驚く。

「なあなあ!きみ、高校生作家の神谷くんやろ」

またもや知らない男から唐突に切り出されて、俺は口から心臓が飛び出そうなほどドキリと した。

男にしては長めの金髪に、俺のよりもずっとフレームが大きな黒縁眼鏡。垂れ目と、きゅっと持ち上がった口角。どこかで聞いた気がする特徴的な声色と方言だと思ったら、入学式で叫んでいたのはこの男 だったと思い出す。

「おいてめえ、人の話に割り込んでくんじゃねえよ。失礼だろ!」

鹿島がその男に向かって 噛み付くように吠えた。

「お前が失礼とか言えた義理かよ」と凪が呆れて鹿島をなだめた。俺と同じくらい小柄な男は、ヘラヘラと軽そうな笑いを浮かべ「同じ学部の、夏目恵介なつめけいすけやで」 と名乗った。

「なあ、神谷くん。人違いとちゃうやんな?」

俺は、返すべき言葉を見つけられない。この状況をどう切り抜けるべきか、思いつかなかった。せっかくできた友達が目の前にいるのに、それを失いかねない危機的な状況であることを、 俺は察知している。

俺にとって小説家と言う経歴は、輝かしいものでも何でも無かったからだ。

「お前、作家なの?」と鹿島が言った。
「知らんかったん?めっちゃ有名やってんで」

俺の代わりに答えたのは夏目だった。有名だった、という過去形の言葉に少しだけ胸が痛む。気づけば、周りにいた学生たちも夏目の声に気づいたのか、ちらちらと俺たちを伺っていた。

「知らねえな。あんまり本、読まねえし」

鹿島が言った。

「ああ、俺もそうだ」

凪と鹿島は小説家としての俺を知らないようだった。能天気な二人の会話に、俺は安堵する。

そしてそのまま、高校時代の話題に突入した。

「凪はさ、高校の時の読書感想文もすげえ苦戦してたよな」
「あれな。ハリウッド映画の原作になった本で書いたやつ」
「本読まずに映画だけ観て書いた代物だろ」

それは読書感想文とは言えなくないかとツッコミを入れてしまいそうになった。

「原作と映画で全然話が違うから、一瞬で先生にバレた。詰めが甘かった」
「そりゃ詰めが甘かったな」

何の話をしているのだろうと俺が呆れていると、つんつん、と夏目が俺の右肩を指でつつく。

「なんで小説書くの止めてしもたん?」

夏目から尋ねられる度に心をざらついたヤスリで削られているような、嫌な感覚。俺は間抜けにも口を半開きにしたまま、思考停止するしかなかった。

なかなか教室を出て行かない学生たちも俺に注目している。答えを待たれているのが嫌でも 伝わってきて、余計に息苦しくなった。こんな数人に囲まれることすら久しぶりのことで、呼吸が浅くなる。

ちくしょう。こんな人数の前ですら、俺はだめなのか。喉の奥に蓋が出来てしまったかのように上手く呼吸ができない。

どうしようかと考えれば考えるほど、手足が冷えきっていくのがわかった。

「蒼」

視線を上げると、凪が真顔のまま俺を見つめていた。そして椅子から立ち上がる。

「喉乾いた。ジュース買いに行こうぜ」
「え......う、うん」

呆気に取られる俺を急かすように、腕を引いてくれる凪。会話の途中で取り残されることになった鹿島が「なんだよそれ」と不満げな声を、凪と俺にぶつけた。

「ヤマトは大学終わったら、俺の家に遊びに来いよ」と凪が言う。
「はぁ?なんでお前の家なんかに......」
「新作のお宝が手に入ったんだ」
「行かせていただきます」

鹿島の寝返りは早かった。新作のお宝とか言う謎の存在と鹿島の急激な心変わりに呆れていると、夏目がウズウズした ような様子で二人を眺めていた。

「なあなあ、それ、俺も行っていい?」
「おう、もちろん。住所教えるから連絡先教えて」

夏目と連絡先を交換すると、二人に後腐れなく軽い挨拶をして、凪は俺に向き直った。 凪は二人に聞こえないように「行こう」と口だけを動かして俺に告げる。

呼吸はいつの間にか、ずいぶん楽になっていた。

大学内の売店に寄って、紙パックのチョコバナナラテとカフェラテを買った凪。校舎裏にあるこぢんまりとした談話テラスに腰を下ろした。広大な構内には他にも学生用の休憩スペースがたくさんある。

午前中の今はまだ、人がまばらだった。どっちが良いかと尋ねられて、俺は遠慮がちにカフェラテを指さした。凪が立ったままの俺にそれを投げてよこす。俺は小さく、ありがとうと口にした。

「いいよ。そんなの安いし。百円だぜ」
「そうじゃなくて。さっきの会話のこと」

俺はぽつりと言って、凪の向かい側の椅子に座った。金属製の椅子の脚が地面を引きずって、耳障りな音を立てる。

「お前、真っ青だったじゃん。気にすんなよ」

やっぱり凪は気づいていたのだ。俺は自己嫌悪に陥る。どこまでも迷惑をかけてしまう自分に、声が震えた。

「俺さ、高校一年生の時に、趣味で書いてた小説がコンクールで賞を獲ったんだ」

凪はストローを刺しながら、何も言わずに俺の話を聞いてくれた。

「それでデビューが決まったんだけど、ペンネームじゃなくて実名での出版が条件になって」「ああ。だからお前の名前、あいつに知られてたのか」

凪の納得したような声に、俺は頷く。

本当は実名なんて出したくなかった。でも、出版社は「等身大の高校生が描くリアルな青春劇」なんて言って売り出したかったんだ。今思えば、それらしい理由を伝えられて押し切られた、あの頃の俺だって馬鹿だったと思う。受賞発表と同時に、俺の名前と所属している学校名は、世間へと知れ渡ることになった。

「最初は高校の友達も先生も、一緒に喜んでくれたんだ。でも三作目の本を出す時、イジメ をテーマにした作品を書けって言われた」
「イジメ?」

凪は俺の言葉を繰り返した。

その当時、イジメに関する事件が全国各地で連続していて、社会においてはセンシティブな 話題になっていた。高校生作家なんて名称は偉そうでも、実際は、好きなものを好きに書ける自由は許されていない。極めて商業的な指示の下で、俺は執筆していた。

「無我夢中で書いたよ。新人の三作目って、話題性も落ちるしさ」
「それでも書けちゃうのがすごいよな」

そして偶然にも、俺が想像して書いた設定と同じようなイジメが、俺の通ってた高校でも起 こっていた。学業も友達も疎かにして、小説ばかりに目を向けていた報いだと思った。俺が知らないところで、学校の友人たちは、多感で複雑な青春を送っていたのだ。

イジメを知らなかった、イジメに気づかなかった、というのは見て見ぬフリをして逃げてい たと同義だと今でも思う。小説の発表から程なくして、イジメの主犯たちに「俺たちのことを書いたんだろ」と因縁をつけられた。今度は俺がイジメられるようになった。大々的に小説という形で、俺が世間にチクったようなものだ。

そう説明すると、凪が顔をしかめた。俺の作品と高校で起こってたイジメの因果を、メディアはすぐに嗅ぎつけた。高校生作家が 新作小説で母校を告発、無慈悲な学校にペンの剣を、などそんな見出しが新聞に並んだ。俺のいないところで、俺の知らないところで、思ってもいない俺の意志が勝手に作り上げら れていく恐怖を今でも覚えている。困惑が絶望に変わるまで、そう時間はかからなかった。

「小説はまた受賞したけど、全然嬉しくなかったな。学校中から、それこそ先生も含めて無 視されたし、怒鳴られたり蹴られたりも当たり前だったよ」
「なんだそれ、ひでえ話......」

凪はまだどこか信じられないというような顔で、俺の話を聞 いてくれていた。

「小説の授賞式の日に限界が来て、登壇中に倒れた。だから今でも......人前に立つとその時 のことを思い出して、話せなくなる」

語尾が上ずって、震えた。あの時の胸の痛さは今でも忘れない。勝手に期待した奴らが、勝手に落胆していく時の目。 信頼していると思っていた人たちが、手のひらを返したように去って行く時のみじめさ。

「こんな話してごめんな。俺、おかしいんだ。人としてのネジが二、三本足りてないと思う。 欠陥だらけだ」

今だって。大学生活初日だと言うのに、凪に助けてもらってばかりいる。

鹿島にはきちんと 謝ることすらできなかった。夏目にだって、自分の言葉で説明することさえ叶わない。人として当たり前にみんながやっていることを、俺はできない。悔しくて情けなくて、顔を上げられなくなった。

「蒼は悪くねえよ」

凪は下手な同情もせず、俺以上に憤って言葉を荒げた。

「蒼は出版社に言われて書いただけだし、何より賞まで獲ったんだろ。気にすることなんて 何一つねえよ。それが実力だろ。すごいことだ」

テーブルを挟んで向こう側にいる凪は、まっすぐに俺の両目を見つめる。大きなクジラのように性格や足取りはぼうっとしているのに、その言葉は鋭くて強い。

「それに......イジメなんて、どんな理由であれ、イジメるやつの方が悪いんだ」

凪が言い切る。

「人前が苦手ならわざわざ無理する必要もねえよ。それより俺は、蒼をそんな風にしたやつ らを片っ端からぶん殴ってやりたい」

あまりにも直接的で冗談のような表現なのに、凪の目は本気だった。びびった俺に気づいたのか、凪はすぐに表情を崩す。

「蒼は難儀なやつだろうなって最初から思ってたから、今さら気にすんなよ」
「そ、それはそれで失礼だな」
「もうダメ無理って思ったら、酒飲んでヘロヘロになって、誤魔化しちゃえば?そしたら嫌 なこともすぐ忘れられるだろ」

凪が茶化す。昨日のことをいじられてるんだと知った俺は、耳まで顔を真っ赤に染めた。

「そんなことできるかよっ」
「詳しいことは蒼が整理できた時に自分で言えばいいけどさ、とりあえずヤマトには俺から も上手く言っておくから。もうビビんなくていいよ」

凪は飲みきった紙パックをぐしゃりと潰して、少し離れたアルミ製のゴミ箱へと投げた。綺 麗な放物線を描いて、ゴミはその中へと落ちる。

「ヤマトはさ、口は悪いけどすげえ良い奴だよ。馬鹿だし、お節介だし、ヤンキーだけど」
「最後にけなしてどうするんだよ......」と俺は呆れた。
「人前が苦手でも、ちょっとずつで良いから慣れて行こうぜ。四年間かければ、少しは何と かなるって」

凪は大きく伸びをして、席を立った。何気なくて、ぶっきらぼうで、考えていることが全然読めない。それなのに、俺を傷つけまいとする凪の優しさに気づいて、俺は両目から大粒の涙を流した。

「......ちょっ、何、どうした」
「なんでもない」
「そ、そういう唐突なのはやめろよ!こっちの心臓が持たねえだろ」

凪が胸を撫で下ろして言ったのだった。
 
それから「倒れる前は言って」「泣く時はちゃんとカウントダウンして」とメチャクチャな ことを不機嫌そうにつぶやく凪。

思わず笑ってしまった。

教室の扉に手をかけた凪は、思いついたように俺を振り返った。

「そうだ。蒼も、新作のお宝観たい?」
「それはいらない」

俺は即答した。